【失恋にどう対処したらいいか?】
●愛する人の幸せを願うのが本当の愛情では?●
異性に関する悩みというものは、古今東西を通して悩みの代表格でしょう。
さて、私は、当HPのPartUで、悩みの元となる「問題」というものは「考える必要のある問題」と「考えても何の得にもならず、考えても絶対解決するはずがない問題」との2つに分けられるということをまず認識することが重要だと申し上げてきました。
そしてその「問題」が、前者の「考える必要のある問題」であれば、冷静に理性的にある程度の結論が出るまで徹底的に考え、結論が出たのならその結論に従って冷静に理性的に行動すべきであるということ。
一方もし、その「問題」が後者の「考えても何の得にもならず、考えても絶対解決するはずがない問題」であることが判明した場合の「最高の解決法」は、その問題を「今後は考えない事」であると申し上げてきました。
このことを、恋愛問題に当てはめた場合、後者の「考えても何の得にもならず、考えても絶対解決するはずがない問題」だと気づいたとき、つまり失恋したときの「最高の解決法」は、その問題を「今後は考えない事」 言い換えれば、その恋愛を「あきらめる事」だといえるでしょう。
でも、失恋に至った恋愛をあきらめられないからこそ、今あなたはこの文章を読んでいるのかもしれませんから、「どうしてあきらめるべきなのか」、「どうしたらあきらめられるか」について、追々お話していこうかと思います。
さて、恋愛の理想は相思相愛(両思い)だと思います。
「愛する喜び」と「愛される喜び」が両方とも満足されるのが理想の恋愛なわけで、一方通行の愛情というものは本当は理想の恋愛ではないでしょう。
ところが、そううまくはいかないのが世の常であり、初めから完全に一方通行である愛、初めは両思いであったものが、一方の愛だけが冷めかけてきたり消えてしまったりという恋愛は日常茶飯事で、むしろ、完璧な両思いを続けているケースのほうがずっと少ないのではないでしょうか。
そしてそれが恋愛に関する悩みの大多数を占めているように思います。
一方、恋愛以外にも、様々な形の「愛」があります。
親子の愛、他者、他生物、自然、組織、団体、芸術等、有形無形の対象に対する愛です。
でも、こういった愛の多くは、本来、見返りを期待せずに、ただ愛を与えるというのが理想形ではないかと思います。
例えば、愛の対象が異性ではなく、飼い猫であったなら、相思相愛でないからといってだれも深刻には悩まないはずです。
なぜなら、そこには、ただ与えるだけの愛があり、それで充分満足できるからです。
ところが、男女間の恋愛だけは、かなり例外的なようで、自分が愛を与えたくなるような対象の場合、できればその対象からの愛も獲得したいと思うのが普通なわけです。
これは、種族保存の強力な本能が関与している以上当然といえば当然です。
男女の恋愛に関する悩みが深刻にならざるを得ないのはこんな側面があるからでしょう。
恋愛に関する悩みというものは人類にとって絶対避けられない宿命だともいえるわけです。
私も、恋愛問題で悩んでいる方々にはがんばってもらいたいし、できれば相思相愛になられることを心から祈っているのは当然です。
しかし、「異性への愛」は別として、「一般的な愛」を考えてみた場合、「愛」というものは、愛する対象を最高にいとおしく思い、場合によってはその対象の幸せのためなら自分がどんなに苦労しても構わないとさえ思える事ではないでしょうか。
つまり、愛する対象の幸せがすなわち自分の幸せだと思えるのが「純粋な愛」本来の姿だと思います。
しかし、愛する対象が「異性」の場合には、その対象が幸せであれば、それだけでいいなどとはほとんどの人は思わないというのが現実でしょう。
自分が愛する異性に自分も愛されることこそが最終目的であり、自分が愛する異性が、実は自分を愛してはいなかったり、例えば自分以外の人間によってその人が幸せになっていたりした場合、ほとんどの人は絶対納得がいかないのではないでしょうか。
ですから、あらゆる手段を使って愛する異性の愛を獲得しようとするのは当然の事です。
あらゆる手段を使って愛する異性の愛を獲得しようとすることは素晴らしい行動です。
しかし、あらゆる手段を使ったにも関わらず、結局相思相愛にはなれない場合も多いというのも現実です。
必死に相手の愛を求める事は人間として当然の姿です。
あらゆる手段を考えてそれを達成していただきたいと思います。
しかし、人の心を変えること、特に、自分への愛を生じさせたり、その愛を持続させたりするという事がいかに難しいかということはだれでも知っているはずです。
ましてや、いったんかげり始めた愛を再び燃え上がらせるなどということは9割方無理でしょう。
ですから、悩みに悩んで、あらゆる手段を考える事は大いに結構なのではありますが、相手を本当に幸せにできるのが自分ではないということに気づいた時点からは、相手の愛を求めて相手を苦しめるような事をやらないということこそが、最後に相手に与えられる純粋な意味での「愛」ではないのかということに気づくべきではないでしょうか。
もし「愛する喜び」の根底に「相手ができるだけ幸せになって欲しい」という愛本来の気持ちがあるのであれば、相手が自分を愛してはいないということに気づいていて、自分が、相手を幸せにできる人ではないとわかっているにも関わらず、相手に自分への愛情を求めることは、相手を苦しめる事以外の何ものでもないということに気づく必要があるのではないでしょうか。
もちろん、その時に極度の切なさ、苦悩、ストレスを感じるのは人として当然です。
ましてや、相手を幸せにできる人が自分以外の人間であると知った場合などには、半狂乱になってもおかしくないかもしれません。
でも、とっくに結論が出ていて、相手が新しい愛に生き始めていたり、新しい道を歩み始めているのに、自分はただ相手に執着し続けているだけなどという状況はあまりにも虚しいのではないでしょうか。
もし、今、あなたが、失恋した相手への未練を断ち切れないでいるのだとしたら、その辺の状況も冷静に見つめ直して、気持ちを切り替えてみてはいかがでしょうか。
★結ばれる運命の人を探しに立ち上がりましょう★
さて、愛し合う二人の関係の最高の形態のひとつが「結婚」である場合も少なくないという事に異論はないと思います。
もちろん結婚以外にもいろいろな形の恋愛はあるわけで、恋愛の最終目標が結婚などでは決してないという事もまた真実だと思います。
しかし、本当に大好きな異性が現れたら、その人とずっと一緒にいたいし、できれば結婚したいと思うのはごく普通の感情ではないでしょうか。
ある意味では、結婚に至るような最高の恋愛を心の底で求めつつ、その恋愛が結婚に至るかどうかわからないまま喜んだり苦しんだりしているというのが結婚以外の多くの恋愛の実体ではないかと思います。
一夫一婦制の日本では、結婚相手は一人しか選べません。
これは、法律上定められた事ではありますが、社会秩序を守るためには意義のある制度であるという側面はあると思います。
しかし、一方、アラブ諸国の一夫多妻制や、昔、殿様や天皇などが複数の側室(二号、三号)を持っていた事実とか、最近では世界のナンバーワンともいえるクリントン米大統領が浮気がバレて苦労している例とかを考え合わせるに、男女が恋愛に陥って結婚したが最後、一生一対一の夫婦間以外の恋愛は認められないのだ等という一般常識は、生物として、子孫をより多く残す必要のある人類にとっては、実は非常識だともいえると思います。
しかし、我々が、日本の法律に従って生きていかなければならない以上、恋愛の相手は何人いたって罰せられるわけではないわけですが、結婚相手は一人にする必要があるわけです。
ですから、こういった法治国家に生きている以上、最終的な究極の恋愛の相手は、結婚する相手であるというのが理想ではないかと思うわけです。
で、私はその運命の人(結婚相手)は、生まれたときからほぼ決まっているのではないかと常々思っています。
そして、結婚へ至らない恋愛というものは、最終的に、本当の赤い糸で結ばれた運命の人と出会って結婚するための、予行演習あるいは布石のようなものであって、最初から壊れるべく運命づけられているのではないかと思っています。
もし、あなたが、ある異性を、赤い糸で結ばれた運命の人だと思っているのであれば、その人に、あなたを真の最愛の人であると思わせるべく努力してみるのは有意義な事でしょう。
そして、その恋愛が成就すれば、それが結婚に至ろうが至るまいが、貴重な経験としてあなたの将来に役にたつはずです。
たとえ恋愛が破局に至ったとしても、貴重で素晴らしい経験であったという事は間違いのない事実です。
八方手を尽くしたうえで、相手が本当の赤い糸の相手ではないと確認できたのなら、それを貴重な経験として、本当の赤い糸の君を探すのに役立てるという事こそが、その恋愛を無駄ではなくさらに素晴らしいものにする事でもあります。
気持ちを切り替えて、恋愛の破局からなるべく早く立ちあがり、次の恋愛を求めて行動を起こす事こそ、よりスムーズに運命の人に巡り会う近道でしょう。
間違っても、結ばれるべき運命の人ではないという事に気づきながらも、相手に未練を持ち続けて、本当の運命の人を探しに歩き出そうとしなかったり、極端な場合、しつこくつきまとうストーカーと化すような愚は決してやるべきではありません。
なぜなら、いくら自分では相手に対する愛情を感じてはいても、結ばれるべき運命の人ではないのですから、どんな手を使っても相手の愛情を得る事は無理であり、つきまとえばつきまとうほど、その愛する人を苦しめ、その人から恨まれるだけだからです。
更には、本当の運命の人に巡り会うのに大きな回り道をする事にもなってしまうからです。
「気持ちは時間が癒してくれます」
人生何とかなるものだし、何ともならないことはそのまま受け入れて、前向きに生きていく事によってこそ、愛の女神が微笑んでくれるのだと思います。
結ばれるべき本当の運命の人を探すために、結ばれない運命の人との恋愛を生かす事こそ、ひとまず終わったその恋愛を更に貴重なものにする事でもあるのです。
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